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短編・長編・脱線

短編には、面白い落ちから逆算するもの、訴えたい心情や印象的な経験をシェアして共感を呼び起こすもの、不安や焦燥感でショックを与えるもの、煌めきのある描写で魅了するもの等々アプローチは様々で、書き手も多様ですね。

長編は複雑な世界観を有するもの、長い年月や多数の登場人物をカバーするもののように、テーマからして長くなるべき要素があるものと、テーマにかかわらず書き手の方が筆達者で饒舌で長いものが書けてしまう場合と、両方の要素があるような気がします。

筆達者で饒舌な書き手がよくやることは、面白い側線に入っていくことです。本線のストーリーからは脱線しているのに、外れている話がそれはそれで面白くて読まされてしまいます。側線入り、脱線の繰り返しで話は長くなっていきます。

これを筆力と想像力でやる書き手もいれば、豊富な知識や調査で読者の情報量を凌駕することによって行う書き手もいます。どんなに脱線しても本線のストーリーが最終的に読者に満足を与えられるものになっていれば、寄り道で楽しみが増えるのはよいことなのでしょう。

脱線と寄り道の天才ともいうべきは五味康祐さん。膨大な長編から印象的で切れ味鋭い短編まで万能の書き手でした。代表作の長編「柳生武芸帳」では脱線、寄り道の技が存分に披露されています。側線から更に支線に入り、更にまたその背景説明の脇道に入り込んで、三段階、四段階本線から外れていきます。うっかりすると本線の話の進行を見失いそうになるのですが、側線、支線、脇道が面白く、ストーリーのリアリティーを高めるので読み続けるのです。脱線することにより、読者は知らぬ間に深くその世界に取り込まれてしまいます。それが長編作家の手腕というものかと思わされるほどです。

ちなみに弥剣龍の亜空間の戦士は長編三部作、構想当初から世界観とストーリーの設定が綿密になされているタイプの長編です。文章がこなれていて読みやすいのでスラスラ読めてしまいますが、決して筆達者と饒舌さで書ける書き手ではないので、長編になっているのは世界感とストーリー設定に起因していることが読了後になってわかってくる代物です。

長編、短編それぞれに書き手のアプローチが見えてくると読者も読む楽しみが増えることもあるのではないでしょうか。


^_^

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