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小噺・SS・短編

 小噺という手法は落語でよく使われます。落語ーーー落とし話ーーーというからにはすべからく落ちがあります。落ちがあって笑えるものであることが前提です。


 ショートショート(SS)は、落ちがあってもなくてもよい分、縛りが緩いです。コミカルであってもいいのですが、落語と違って笑いを取る必要もありません。物事の見方、考え方、不思議な出来事、世界観などが短いなりに仄見える。それがコーヒー一杯飲む時間で気軽に楽しめる。それがSS。読書といっても肩が凝らないのが良さでしょう。


 短編とSSは長さのレンジが違います。SSは本にして10ページくらいで止めないとショート感が薄れます。20ページあるとむしろ短編になってしまうような気がします。20ページあるとそれなりに起承転結を折り込めるのです。読む時間も15分から20分くらいはかかり、短編という名でも、Twitterに慣れたSNS世代には十分長いと感じられるでしょう。


 短編は幅がかなり広くて、100ページくらいまでは短編とされることがあるようです。100ページだと一時間では読みきれません。途中で一息というケースも多いと思われますので、それなら中編といった方がしっくりするような気もします。


 短編はこのように幅がありますが、SSはストレスなく一気読みできる長さでないとSS性を失います。長さと必要時間でSSは短編よりはかなり縛りがきついと思います。


 これらの領域と被ることが多いのが、童話とか寓話のジャンルです。童話は子供を主たる対象にしていて、寓話はその中でも擬人化手法の比喩が使われているものです。長さがSSや短編の領域に入るものが多いです。長編の童話や寓話は、世界観を伴うようになり、ファンタジーの世界とオーバーラップすると思われます。


 前にもブログに書いたアンデルセン童話マッチ売りの少女は5ページくらい、宮沢賢治のよだかの星は10ページくらい。どちらも分量的にはSSの範疇に入ります。短いですが、世代を超えて読み続けられている名作です。

 マッチ売りの少女は長編ファンタジーのハリーポッターよりインパクトがあると言いましたが、人の心に刺さるものは長さは関係ないということだと思います。

 よだかの星はひょっとすると日本版みにくいアヒルの子でしょうか。名作短編、童話、寓話どれにも当てはまると思いますが、名作よだかの星がSSだと言ったら、純文の方々からはお叱りを受けそうです。きっとSSというのはもっと軽いものを扱うジャンルとして認識されているのでしょう。


 ヘヴィーに対してライト

 ハードに対してソフト

 シリアスに対してコミカル

 

 SSはライト・ソフト・コミカルの側に寄っているのでしょう。これは多分にSSという分野を開拓してきた作家達の傾向に影響されたと思います。


 ではこれが逆の方向に振れるとどうなるのでしょうか。ヘヴィー・ハード・シリアスなSSーーーそれはもうSSではないと思う読者もいるかも知れませんが、作者がそれを短編とか他の呼び名で呼ばず、SSだと主張すればSSなのではないでしょうか。


 こういうとSSのファンの方々から叱責されるかも知れませんが、SSはまだ厳然たるベンチマークが確立されていない、と言ったら言い過ぎでしょうか。マッチ売りの少女はスーパーグローバルですし、よだかの星は文学として海外の学者にも研究されているのですが、SS作品でそこまで世界の関心を集めるような名作はまだないのではないでしょうか。

 それというのも、日本でSSという分野が認識されるようになったのはそう遠い昔のことではなく、歴史が浅いということがあると思います。SSの創世記は依然続いている、と考えてもおかしくないでしょう。

 

 短い作品の中に無限の含意を持たせる天才ーーーそれが日本人。短歌・俳句・川柳で磨かれてきた感覚は民族的形質です。そのことに照らしても、SSはまだまだ開拓余地が豊富にあると思いますし、それは日本で起こってくると思います。これから先SSの領域で新たな作風が生み出され、人々の記憶に残る名作が生まれてきたとしても、少しも驚きではないのです。

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